「道」はどういうわけか、その字源・成り立ちについてあらぬ誤解を受けることが特に多い不遇の漢字です。彼の名誉挽回のためにも、特に中国語音韻学の専門的・科学的見地からその成り立ちを書いてみます。
成り立ち
義符「辵(辶)」+音符「首」の形声文字です。上古中国語において「首」は「道」に発音が似ていたため、音符になることが出来ました。もちろん義符を兼ねている可能性もありますが、重要なのは音符としての性質でしょう。
昔の研究
『説文解字』辵部では「从辵从首(「辵」と「首」は義符である)」とあり、後漢の許慎にとっては会意文字のように感じられていたことがわかります。「首」(シュ)が「道」(ドウ)の音符すなわち発音を表しているとは、現代の日本人にとってもにわかには信じられませんよね。
ただ、後漢でも、「首」と「道」の韻母は同じであったと考えられます。後漢の胡廣の「侍中箴」に
文公欽若,越興周道。
胡廣「侍中箴」
亦惟先正,克慎左右。
常伯常任,寔爲政首。
という押韻例が見られます。そもそも、「道」と「首」は『詩経』でも押韻します。
踧踧周道,鞫爲茂草。
『詩経』小雅「小弁」2章
我心憂傷,惄焉如擣。
假寐永嘆,維憂用老。
心之憂矣,疢如疾首。
だからこそ、清・段玉裁は『説文解字注』で「首亦聲(首は音符でもある)」と指摘したのです。
となると、やはり声母の違いが問題になります。日本漢字音で「道」「首」はそれぞれ「ドウ」「シュ」ですが、仏典の対音資料等から、漢代でもこれらの字の声母はそれぞれd、sy(厳密な音声表記では[ɕ]。日本語のシュの子音と同じです)であったと推定されています(日本漢字音の元となった中古中国語でも声母については同様の音価です)。dとsyでは音が違いすぎるので、許慎は「首」を「道」の音符と見なさなかったと考えられます。
新しい研究
諧声系列:「尚」の場合
しかし、最近の研究では、先秦時代では「首」と「道」の声母が近かったことが明らかとなっています。
上古中国語の声母の発音を明らかにするに当たり、もっとも大事なのは諧声字です。言うまでもなく、同じ音符(諧声符)を持つ字は同じ音あるいは似た音を持っていたと考えられます。ここでは、「道」と同じく漢代〜中古でdの声母を持っていた「堂」(ドウ、d)の字を例に説明しましょう。
「堂」の音符は「尚」(ショウ、中古では濁音dzy)です。同じ音符を持つ字のグループを「諧声系列」と言いますが、「尚」の諧声系列に属する字は他に「賞」(ショウ、sy)「當(当)」(トウ、t)「掌」(ショウ、tsy)「常」(ジョウ、dzy)があります。中古音はバラバラですが、諧声系列をなす以上上古音は似ていたはずです。最新の研究、例えばBaxter-Sagart(2014)では、【表1】のようにこれらの字の上古音はtやdのように再建されています(ˤは咽頭化を表しますが、中古の直音字に一律に再建されており、ここでは特に気にしないで下さい)。これなら音が似ており、諧声関係が成立しそうですね。
賞 | 當 | 堂 | 掌 | 常 | |
日本漢字音 | ショウ | トウ | ドウ | ショウ | ジョウ |
中古音声母 | sy | t | d | tsy | dzy |
上古音声母 | *s-t | *tˤ | *dˤ | *t | *d |
なお、*t > tsy[tɕ]、*d > dzy[dʑ]のような音韻変化は普遍的に見られます。日本語でも「ち」「ぢ」がまさにこのような変化をしましたね。
諧声系列:「兌」の場合
dとdzyなら、音が違うとは言ってもまだ似ています。ところが、中古音でdを持つ諧声系列には明らかに全然音が違うものがあります。
代表例が「兌」(ダ、d)の系列です。「兌」を音符とする字には「脫」(タツ、th)、「說」(セツ、sy)、「悅」(エツ、y)があります。th(tの有気音)、d、syはまだしも、yはこれらと完全に異なる音です。
これらが「尚」のような普通の*t、*dの諧声系列と違うことは、Pulleyblank(1962-1963)により初めて指摘されました。その音価については、現在では【表2】のように*lやその無声音*l̥を再建することが有力視されています。
脫 | 兌 | 說 | 悅 | |
日本漢字音 | タツ | ダ | セツ | エツ |
中古音声母 | th | d | sy | y |
上古音声母 | *l̥ˤ | *lˤ | *l̥ | *l |
*lの再建は、音声学的な妥当性や中国語と関係の深い周辺言語との関係が考慮されています。*l > y[j]のような変化は普遍的に見られ、例えばフランス語のfilleは[fij]という発音ですが、元々は綴りのように[j]は[l]で読まれていました。また、「脫」はチベット語にlhod-pa「緩める」という対応語があります。*l̥ > syの変化もわかりやすいですね。日本語では、滑舌の悪い人のサ・シャ行が[l̥]になっていることがよくあります。
T-TypeとL-Type
「尚」のような*t、*dの系列をT-Type、「兌」*l、*l̥の系列をL-Typeと呼ぶ習わしとなっています。中古音のdやsyには、二種類の由来があるということです。
ここに、面白い説があります。野原(2009)によると、中古でT-typeはzy[ʑ]、y、zに、L-typeはt、tr[ʈ]、tsy[tɕ]には決してならないようです。上の例も、確かにこの説に収まっています。
「道」はどっち?
それでは、「道」はどちらのタイプに属するのでしょう?残念ながら、「首」の諧声系列は「首」「道」「導」の三字のみです。「導」の中古声母も「道」と同じくdであり、諧声系列だけではどちらのタイプか判別できません。
ここで役に立つのが通仮、すなわち当て字です。先述の野原(2009)では、戦国時代の楚の出土文献(戦国楚簡)における通仮を調べ、諧声系列のみでは判断できない字についてもタイプを帰属させました。
野原(2009)によると、楚簡で「道」が「蹈」に作られている例があります。「蹈」の音符は「舀」(ヨウ、y)であり、上の説に従えばL-Typeであることがわかります。かくして、「道」=「蹈」、「首」の上古声母はそれぞれ*lˤ、*l̥であることが確定できます。これなら音が似ているので「首」は「道」の音符になれることが納得できると思います。
滔 | 蹈 | 舀 | |
日本漢字音 | トウ | ドウ | ヨウ |
中古音声母 | th | d | y |
上古音声母 | *l̥ˤ | *lˤ | *l |
道/導 | 首 | |
日本漢字音 | ドウ | シュ |
中古音声母 | d | sy |
上古音声母 | *lˤ | *l̥ |
まとめ
「道」は「首」を音符とする形声文字です。上古で「道」、「首」の韻母は同じであり、声母も*lˤ、*l̥と非常に似ていたため音符になることができました。
上では「尚」、「兌」と「首」の例のみ挙げましたが、T-Type/L-Type仮説自体は膨大な諧声系列の分析から帰納的に導き出された仮説です。当然、反証可能性も有しており(仮に「首」の諧声系列の字がt、tr、tsyの字と通仮している例が見つかったならならば、この説は反証されたことになる)、科学的妥当性が高い仮説であると言えます。
参考文献
- 野原将揮 2009.「上古中国語音韻体系に於けるT-type/L-type声母について : 楚地出土竹簡を中心に」『中国語学』256、67-85頁。
- Baxter, William H., & Sagart, Laurent. 2014. Old Chinese : a new reconstruction. New York : Oxford University Press.
- Coblin, W. South. 1983. A Handbook of Eastern Han Sound Glosses. Hong Kong : The Chinese University Press.
- Pulleyblank, Edwin S. 1962-1963. The consonantal system of Old Chinese. Asia Major n. s. 9.58-144, 206-265.
その他役に立つサイト
Yahoo知恵袋で恐縮ですが、この質問のベストアンサーの方が、文字学の立場から「道」の成り立ちを的確に論じておられます。専門家の方でしょうか?